王源 (清)王 源(おう げん、1648年 - 1710年)は、中国清代の儒学者。字は崑縄、号は或庵。順天府宛平県の出身。 生涯若くして任侠を重視し兵学を好んだ。三藩の乱が平定された後に北京で設けられた講会(学会)の領袖の一人となる。万斯同・胡渭・閻若璩などに伍して才気縦横の論客として知られるが、劉献廷・李塨にのみ傾倒し、56歳の名士でありながら李塨の紹介で顔元に門下の礼をとる。晩年には妻子を棄て、各地の山川をめぐり淮上で死去した。 著書
以上の著書は全て失われ、『居業堂文集』20巻のみが現存する[1] 。 参考文献脚注
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