玉川御殿
玉川御殿(たまがわうどぅん)は、尚清王の八男・尚洪徳、読谷山王子朝苗を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家で、王国末期に兼城間切(現:糸満市兼城地区)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 玉川御殿は1世から7世まで読谷山按司(王子)を称していたが、7世朝悦に子がなく、叔父の6世佐敷按司朝易が家督を継いで、7世仲里按司朝英と称した。その後、13世まで仲里按司を称していたが、13世朝慶に男子がなかったため、尚灝王の七男朝達が養子に入って兼城間切の按司地頭職に就任、14世玉川王子朝達と称した。朝達は牧志恩河事件に巻き込まれて、領地の兼城間切糸満村に蟄居し、失意の内に亡くなった。15世朝常の時、廃藩置県を迎えた。 系譜
参考文献
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