牧野定成
牧野 定成(まきの さだなり)は、江戸時代前期の旗本寄合。播磨守。越後国三根山領主。子孫は後に大名となる。 略歴牧野忠成の四男として誕生。初名は直成。 寛永11年(1634年)、父の領内より6000石分知をされ、旗本寄合席、三根山領主となる。その後、暇を乞い、三根山に赴く。男子に恵まれず、万治元年(1658年)の死に臨んで弟の忠清が養嗣子となり、家督を継いだ。また、養女(花輪宗親の娘)を牧野忠成(越後長岡藩2代藩主)の継室としている。享年42、法名は一山。芝西応寺町(東京都港区芝2丁目)の西応寺に葬られ、以後代々の葬地となる。 系譜脚注注釈出典
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