熊谷三太郎熊谷 三太郎(くまがい さんたろう、1871年12月5日(明治4年10月23日[1]) - 1951年(昭和26年)5月1日[1][2])は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。旧姓は藤原[1]。 経歴福井県[1][2]敦賀市阿曾[3]出身。福井市の熊谷げんの養子となる[4]。福井県立中学校を修了する[2]。1898年(明治31年)宿布発電所の土木工事を請け負う[1]。1907年(明治40年)中尾発電所工事で飛島組の下請けとなり、1926年(大正15年)飛島組取締役に就任[4]。1938年(昭和13年)熊谷組を創立した[1]。この間、1925年(大正14年)福井市会議員、同議長、福井県会議員などを歴任[2]。ほか、熊谷組会長、第五十七銀行、中越銀行各頭取、敦賀セメント社長などを務めた[2]。 1939年(昭和14年)福井県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。在任中は同成会に所属した[2]。 親族脚注参考文献
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