熊岡美彦熊岡 美彦(くまおか よしひこ、1889年3月9日 - 1944年10月1日)は茨城県出身の洋画家。 経歴石岡市生まれ。実家は製糸業を営む素封家。石岡第一尋常小学校在学中に地元の南画家・鬼沢小蘭に日本画を学ぶ[1]。土浦中学校を経て、1909年東京美術学校西洋画科に入学し和田英作、藤島武二に師事する[2]。同期の首席は萬鉄五郎。1913年同校卒。1926年、第1回帝国美術院賞を受賞する[3]。同年フランスへ遊学。1929年帰国。1932年、斎藤与里らとともに東光会を結成[3]。 1939年(昭和14年)4月、陸軍美術協会が発足するに当たり発起人の一人として名を連ねた[4]。同年『珠江口掃海』『虎門要塞攻撃』を第5回海洋美術展に出品。第二次世界大戦後、これらは他の戦争画とともにアメリカ合衆国に持ち出され、1970年(昭和45年)に無期限貸与という形で日本に返還。東京国立近代美術館に収蔵されている[5]。墓所は多磨霊園。 熊岡絵画道場1931年(昭和6年)に熊岡洋画研究所を開設(翌年、熊岡絵画道場と改称)、後進への指導を行った。 主な道場出身者出典
脚注
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