瀧昇
瀧 昇(たき のぼる、1894年(明治27年)2月6日 - 1984年(昭和59年)12月3日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴・人物岡山県出身[1][2]。1915年(大正4年)陸軍士官学校第27期卒業[1][2]。 1940年(昭和15年)3月に陸軍航空兵大佐に任官し、同年5月に飛行第58戦隊長(航空兵団、第2飛行集団、第8飛行団)として大東亜戦争に出征[1][2]。2年後の1942年(昭和17年)4月に第4飛行師団兵器部長(関東軍、第2航空軍)に転じ、1943年(昭和18年)9月に所沢陸軍航空整備学校立川教育隊長、1944年(昭和19年)12月に第6航空軍兵器部長(航空総軍)を経て、1945年(昭和20年)6月に陸軍少将に進級[1][2]。さらに翌月、関東軍航空廠長に任ぜられた[1][2]。 1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[3]。 著作
脚注参考文献
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