滝川 利雅(たきがわ としまさ)は、江戸時代前期の旗本嫡子。初名は利雄(としお)。通称は長五郎、主税(ちから)、官位は従五位下、信濃守。
生涯
寛永16年(1639年)、旗本で常陸国新治郡片野領主の滝川利貞(2000石)の長男として生まれた。母は旧片野藩主滝川正利の娘[1]。承応元年(1652年)、初めて徳川家綱に御目見した[2]。
寛文元年(1661年)、従五位下、信濃守に叙せられた[3]。寛文3年(1663年)には4歳年少の同母弟利錦と5歳年少の同母弟具章が揃って召し出されて番入りしたが、利雅は無役の部屋住みのままだった[1]。
寛文9年(1669年)、出羽庄内藩の前藩主酒井忠勝の娘・利与姫と結婚した[4][5]。
延宝元年(1673年)、父に先立って死去した。享年35[1]。次弟の利錦が代わって父の継嗣となった。
系譜
参考文献
脚注
注釈
- ^ 『寛政重修諸家譜』に妻は記載されていないが[1]、同書編纂時に滝川家が提出した先祖書に妻は酒井宮内大輔忠勝の娘と記載されている[5]。酒井忠勝の娘には初め松平忠利(旗本五井松平家嫡子)に嫁し、のち利雅の同母弟滝川具章に再嫁した女子が『寛政重修諸家譜』に見えるが、同一人物であるか不詳。
出典