源顕親
源 顕親(みなもと の あきちか)は、平安時代後期の貴族。村上源氏顕房流、権大納言・源雅俊の子。官位は正四位下・播磨守。 経歴鳥羽院政期では、鳥羽上皇の妃である皇后・藤原泰子の皇后宮亮や右京権大夫を歴任した。鳥羽院政期末に播磨守を務め、仁平4年(1154年)播磨守に重任されるが、保元元年(1156年)平清盛と交代して国守を辞任している。 晩年出家し、永暦元年(1160年)7月15日卒去。享年73。 梅津殿と呼ばれる山荘を所有し、没後は藤原忠通の手に渡った。 官歴
系譜『尊卑分脈』による。 脚注参考文献 |