源相職
源 相職(みなもと の すけもと)は、平安時代前期から中期にかけての貴族。文徳源氏、中納言・源当時の子。官位は従四位下・右大弁。 経歴六位蔵人を経て、朱雀朝にて従五位下・右少弁に叙任された後、承平6年(936年)五位蔵人に任ぜられる。 天慶2年(939年)平将門の乱にて、武蔵武芝の兵に包囲された源経基が逃げ出して平安京に到着後、平将門・興世王・武芝の謀反を訴えた。この際、訴えの実否を確認するための太政大臣・藤原忠平による将門への御教書伝達の使者として、相職が派遣されている(このときの官職は右少弁)。 天慶3年(940年)従四位下・左少弁、天慶4年(941年)蔵人頭兼左中弁に叙任され、天慶5年(942年)右大弁に昇任するなど、朱雀朝後期に弁官を務めながら昇進した。天慶6年(943年)4月9日卒去。享年43。最終官位は右大弁従四位下。 官歴
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