湯殿山神社
湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)は、山形県鶴岡市田麦俣の湯殿山山腹に鎮座する神社。旧社格は国幣小社、現在は別表神社。 概要湯殿山神社は、山形県庄内地方にひろがる出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)のうちの、湯殿山の中腹にある。湯殿山は月山に連なるものであり、湯殿山神社は、月山から尾根を西に8km下りた地点にあり、また、月山より流れる梵字川沿いにある[1]。古来から修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者を集めている。 湯殿山神社は、本殿や社殿がない点に大きな特徴があるが、もともと湯殿山は山岳信仰の対象であり、山自体に神が鎮まるものとして、人工的な信仰の場をつくることは禁じられてきたという[1]。 明治以前、三山において神仏習合の信仰が盛んだったころ、羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、そして、当時三山のうちに含まれていた葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされた[1]。一方、湯殿山は「三山」というよりもそれらを超えた別格のものとして、大日如来とされていた[1]。 こうして、出羽三山においては、観音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来の導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、大日如来の境地に至って、即身成仏を達成するという「三関三渡」の修行が行われることとなった[1]。この修行においては、裸足で御神体(湯殿山)に登拝することが、大日如来と一体になる行為とされ、非常に尊ばれた[1]。また、村山地方においては、現世利益の神として病気平癒や水利、先祖供養として参拝し、15歳になると「御山参り」と称して詣でた[2]。江戸時代、これらは講と呼ばれ、出羽国をはじめとして新潟や関東からも参拝に訪れ、講中が参拝を記念して供養塔(湯殿山碑)を建立した[2][注釈 1]。 古来、湯殿山については一切口外しない「問わず語らず」が慣わしとされ、現在も御神体などの写真は厳禁とされる。元禄2年6月(1689年7月)に、月山に登り、湯殿山を訪れた俳聖 松尾芭蕉も、「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」の句を残した。また、湯殿山神社の本宮では、参拝の際に裸足になり、祓を受けなければならず、俗世と隔離された神域として認識されていることがうかがわれる[1]。 近代社格制度においては、昭和7年8月31日に国幣小社へ列格した。戦後は神社本庁の別表神社に指定されている。 祭神境内湯殿山神社
※湯殿山神社には、他の神社にはある、本殿、拝殿は存在しない。 湯殿山神社参籠所
御滝神社湯殿山神社の奥には、流れ落ちる滝を御神体とする御滝神社が存在する[1]。かつては不動尊として、現在は瀬織津姫神として、この滝への参拝が行われている[1]。ここには、真夏でも非常に冷たい雪解け水が流れる中、滝行をする行者が多い[1]。 なお、この滝からの流れが神橋に至る途中の両岸に存在する13の末社を巡拝することを「お沢駆け」という[1]。 アクセス
脚注注釈出典関連図書
関連項目
外部リンク
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