渡辺 重名(わたなべ しげな、1759年4月13日〈宝暦9年3月16日〉 - 1831年2月5日〈天保元年12月23日〉)は、江戸時代中期から後期の中津藩士、国学者[1]、吹出浜古表神社の大宮司。
通称:造酒、上野介。初名は堅石(かきは)。重名は公家の日野資枝の命名。
荒木田久老、本居宣長に国学を学び、青柳種信、長瀬真幸とともに九州皇学三大家の1人とされる。号は楽山、二幸楼。幕末から明治期の国学者である渡辺重春、渡辺重石丸は孫に当たる。
脚注
- ^ “渡辺重名”. www.norinagakinenkan.com. 2023年7月9日閲覧。
参考文献
- 渡辺重春著、渡辺重兄校『豊前志』欽英書屋、明治32年10月25日。
- 『渡辺重名』 - コトバンク