清岡長言清岡 長言(きよおか ながこと、1875年〈明治8年〉2月3日[1] - 1963年〈昭和38年〉1月13日[1][2])は、明治後期から昭和期の教育者、政治家、華族。貴族院子爵議員。 経歴東京府出身。子爵・清岡長延の息子として生まれる[1][3]。父・長延の死去に伴い、1905年(明治38年)2月21日、家督を相続し子爵を襲爵した[1][4]。 1907年(明治40年)以降、殿掌、掌典、歌御会始講頌御人数、同講頌、大礼使典儀官、宮内省衣紋講習会講師、菊花高等女学校長、菊花技芸女学校長、聖訓奉旨会長などを務めた[2][3]。 1915年(大正4年)1月13日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[5]、研究会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。 栄典家族基本、『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 525を参照している。 脚注
参考文献
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