清原幸治
清原 幸治(きよはら こうじ、1971年4月15日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(一塁手)。大阪府岸和田市出身。元プロ野球選手・清原和博の実弟[1]。 パンチの効いた打撃を武器に、アマ球界屈指のスラッガーとして活躍した。 経歴・人物小学校3年生の時に野球を始める。シニアリーグ時代は捕手を務め[2]、全国大会で準優勝を果たす。PL学園高等学校時代は野々垣武志と同期で、1年生では片岡篤史の付き人(逆に片岡は兄の和博の付き人であった)、3年生では主将を務めた。1学年下に入来祐作がいた。 高校卒業後、青山学院大学に進学。大学では同期の小久保裕紀と共に2年春からレギュラーとなり、副主将を務めた4年春の東都大学野球リーグ戦では打率.373の活躍でリーグ優勝に貢献した。初のベストナイン(一塁手)とともに、最優秀選手にも選出されている[3]。当時は2年生に高校からの後輩である坪井智哉、1年生に井口忠仁らがいて続く大学選手権でも優勝を果たした。1部リーグ通算74試合に出場、238打数64安打、打率.269、5本塁打。当時の背番号は兄と同じく3であった。 卒業後は松下電器産業(現・パナソニック)に1994年入社。野球部に所属し、強打者として活躍する[4]も1997年シーズン限りでコーチに転身、その後2001年まで4年間に渡ってコーチを務めた。その後は野球部から身を引き、パナソニックで社業に就いている。 2016年、兄の和博が薬物で逮捕された時には、絶縁状態であったことが報じられた[1]。 脚注
関連項目外部リンク
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