浮田茂太郎浮田 茂太郎(うきた しげたろう、1883年〈明治16年〉1月8日[1][2][3] - 没年不明[2][3])は、大正から昭和時代前期の政治家。山口県下関市長、防府市長。 経歴浮田芳平の長男として香川県に生まれ、1913年(大正2年)家督を相続する[4]。1910年(明治43年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、東京鉄道会社に入社する[4]。1911年(明治44年)8月、東京市事務員となり、1919年(大正8年)6月、同市主事となる[1]。1923年(大正12年)2月、下関市助役となり、1927年(昭和2年)1月、同市長に就任し、1931年(昭和6年)1月、満期退職した[1]。ついで京都市主事、同市理事、香川県育英会学監兼監事を経て、1938年(昭和13年)3月5日、防府市長に就任した[1]。 脚注
参考文献
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