浜崎 勝(はまさき まさる、1931年10月8日 - )は旧満洲国関東州大連市出身の元プロ野球選手。父は、阪急ブレーブスや高橋ユニオンズ、国鉄スワローズで監督を歴任した浜崎真二。
来歴・人物
父である真二が満洲にいる時(南満洲鉄道勤務。満洲倶楽部で都市対抗野球にて活躍していた)に、大連市にて出生。父の満洲暮らしと共に、満洲で育ち、大連第二中学校を卒業した。
1953年、真二が監督を務める阪急に入団。プロ野球史上初めての親子選手として話題になった[4]。しかし、「浜崎真二の息子」という親の七光りという評価を覆す事は出来なかった。阪急では出場機会無しに終わり、翌1954年に真二の監督移籍に伴い、新興球団の高橋に移籍。高橋では戦力不足のチーム事情[5]もあり、守備固めとして68試合に出場した。しかし、打撃センスの無さは如何ともし難く、同年末をもって現役引退した。
真二同様、体格が低かったが、真二よりは身長で10cm程度高かった程、体格は良かったと伝わっている。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
脚注・出典
関連項目