津田美武
津田 美武(つだ よしたけ、1890年(明治23年)10月11日[1] - 1976年(昭和51年)8月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。 経歴1890年(明治23年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期卒業[1]。1933年(昭和8年)に陸軍大学校研究部主事兼副官となり[2]、1937年(昭和12年)8月に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。同年11月に歩兵第14連隊長に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。1939年(昭和14年)に陸軍少将に進級と同時に歩兵第133旅団長に転じ[1][2]、京漢線石門地区で警備・討伐戦に当たった[3]。 1940年(昭和15年)に留守第6師団司令部附を経て[1]、1941年(昭和16年)に支那派遣軍隷下の独立混成第4旅団長に転じ[1]、河北省中心部の警備に当たった[3]。1943年(昭和18年)に大阪陸軍軍需輸送統制部長を経て[1][3]、1944年(昭和19年)8月に陸軍中将に進級と同時に第105師団長に親補される[3][2]。ルソン島に出征し、悪戦苦闘の中で終戦を迎えた[3]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 栄典
脚注参考文献
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