津村紀陵津村 紀陵(つむら きりょう、1863年4月9日(文久3年2月22日[1]) - 1933年(昭和8年)12月16日[2][3][4])は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。前名・光三郎[5]。 経歴素封家[1]・津村重兵衛の長男として紀伊国那賀郡、のちの和歌山県那賀郡山崎村(岩出町を経て現岩出市)で生まれる[1][2][4][5]。1904年(明治37年)3月、家督を相続し紀陵と改名した[1][5]。 1884年(明治17年)中野黒木村外8カ村戸長に就任[4]。和歌山県会議員を経て、紀南索道、野上軽便鉄道、秋津川水力電気各社長、和歌山倉庫銀行取締役などを歴任した[2][4][5]。1918年(大正7年)6月[4]和歌山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した[3][4]。在任中は交友倶楽部に所属した[3]。 親族脚注参考文献
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