波多野 承五郎(はたの しょうごろう、1858年12月29日(安政5年11月25日[1]) - 1929年(昭和4年)9月16日)は、日本の実業家、政治家。帝国議会衆議院議員を務めた。慶應義塾出身で福澤諭吉の弟子。『時事新報』記者、慶應義塾評議員、三井銀行理事、玉川電気鉄道取締役。
年表
- 1858年(安政5年) - 掛川城下の町奉行屋敷にて家禄500石の波多野半蔵の長男として生れる[2]。
- 1869年(明治2年) - 掛川藩の英語学校に入学。
- 1871年(明治4年) - 慶應義塾入塾。
- 1876年(明治9年) - 慶應義塾卒業。母校の教師となる。その後東京市市会議員。
- 1878年(明治11年) - 三菱会社に入る。
- 1879年(明治12年)12月 - 三菱会社を退社。
- 1882年(明治15年)3月 - 『時事新報』創立から在社、主筆。
- 1884年(明治17年)7月 - 外務省に出仕、天津領事などを務める。
- 1890年(明治23年) - 家督を継ぐ
- 1892年(明治25年) - 『朝野新聞』の社長、主筆。
- 1920年(大正9年) - 第14回衆議院議員総選挙で衆議院議員に当選(立憲政友会・栃木4区)。
著書
- 『北支那朝鮮探検案内 附・朝鮮事件由来』杉山虎雄共著 林平次郎 1894年
- 『谷の家』編 籾山仁三郎 1920年
- 『古渓随筆』実業之日本社 1926年
- 『梟の目 第二古渓随筆』実業之日本社 1927年
- 『食味の真髄を探る』万里閣書房 1929年 犬養智子編 新人物往来社 1977年
- 『東海道 随筆』万里閣書房 1930年
親族
次男は波多野元武(三井物産)で、その妻は瀬下清(三菱銀行会長)の三女克、子(孫)が犬養智子である。長女みねは草間時光(草間時福次男)に、次女花は松井春生に、三女春は富井恒雄(男爵富井政章四男)にそれぞれ嫁いだ[3][4]。系譜は犬養家の係累を通して正田家や天皇家にもつながっている。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク