波多 余射(はた の よさ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族 。名は与射とも記される。官位は従五位下・式部員外少輔。
文武朝の大宝3年(703年)山陰道の巡察使として派遣される(この時の位階は従七位下)。
元明朝末の和銅7年(714年)粟田人上・津守通らとともに従六位下から四階昇進して従五位下に叙爵した。元正朝の養老2年(718年)式部省の員外少輔に任ぜられているが、これが史料上の員外官の初見である。
『続日本紀』による。