法王経『法王経』(ほうおうきょう)は、具名を『仏説法王経』(ぶっせつほうおうきょう)といい、大正新脩大蔵経巻85 疑似部 に収蔵される偽経である[1]。そのテキストは、オーレル・スタインの第2次探検隊が持ち帰った敦煌文献の漢文『法王経』[2]を底本としているが、首部に欠落がある。「於其光□□□□□□□□□菩薩□□□□□□□□即從坐起。繞佛三匝却住一面。五體投地悲泣流涕而白佛言。天中尊如來欲入涅槃。時欲將至。若滅度後千五百歳。五濁衆生多作惡業專行十惡。如此衆生福徳力薄[3]」。矢吹慶輝が、このスタイン本を発見し、その成立を664年以前と推定し、さらに本書に廣本と略本があったと想定し、矢吹慶輝編著『鳴沙餘韻解説 : 燉煌出土未傳古逸佛典開寶』(岩波書店 1933年)で紹介した[4]。沖本克己[5]は、664-695年の間[6]に唐で撰述され、初期禅宗に思想的影響を与えた、いわゆる禅宗系偽経の一種とする。禅宗は中国で発達した宗派であるが、『法王経』は中国に留まらずに敦煌、チベットにも流布し、チベット大蔵経にも入蔵されている。作者は全く不明であるが、内容から判断して北宗禅と関連した人物ではないかと推定している[7]。 概要この経の主張する内容は、経の冒頭にある「末法の衆生云々」の語句に対する仏の以下の言葉に表れている。「善男子よ。汝能く諸衆生の爲に是の如き事を問う。大利益を得るを思議す可から不。我當に汝の爲に分別し眞實大乘決定了義を宣説せん。何を以ての故に。衆生を度する故に。諸の衆生を令て煩惱を離しめる故に。地獄苦から出て淨土に生ぜしむる故に。解脱し生死を超えること必定の故に。汝等皆當に一心なり。汝の爲に宣説す。爾の時、大衆は皆な大歡喜踊躍せり。異口同音に倶に言を發聲し。佛に慈悲を我が爲に宣説願う。佛言わく。諸の善男子よ。解脱を求めんと欲するなら當に攀縁(はんえん、すがること)を斷ずるべし。一心無二にして心相を有するを捨てよ。心性の體は空なり。心性の中に於いては染ること無く捨てること無し。若し取捨無ければ即ち得る所無し。若し得る所無ければ即ち菩提と名づける。何を以ての故に。衆多の煩惱は皆な一心より生ずる。心が若し不生なら煩惱も不生なり。[8][9]」 『法王経』の最後の段落に、『法王経』と名付ける理由が説かれている。「我れ此法を諸法中に於いて最第一と爲し、諸乘中に於いて最大乘王と爲すと説く。是の故に此經名を法王と爲す。又此の經を法王菩薩に付囑された故を以て法王と名づく。汝等大衆是の經を持する者は即ち諸難を脱す。」[10][11]。 注・出典
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