河内 剛 (かわうち つよし、1945年1月4日 - )は元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会宮城支部に所属していた。
経歴
東北高等学校を経て、日本大学に在学中だった1964年の東京オリンピックにおいて、スクラッチ(現在のスプリント)に出場(予選敗退)。
1965年、日本競輪学校第21期生(同期に群馬の田中博、神奈川の伊藤繁らがいる)としていわき平競輪場でデビューし1着。後2日間も勝ち、3連勝完全優勝を果たす。
1972年、日本選手権競輪(西武園競輪場)優勝。ちなみにこのレースでは、連勝単式(枠番連勝単式)車券において同大会決勝戦史上初の万車券決着となった。
1997年引退。
余談
- 競輪選手として新人時代の頃は、平間誠記の練習仲間として平間の荒々しい「指導」を受けた。
- 日本選手権を優勝した頃、既に同郷選手としては、荒川秀之助、阿部道がGI(特別競輪)を制覇していたこともあり、河内の優勝を契機に宮城王国と呼ばれるようになった。
関連項目
外部リンク
- 河内剛 - Olympedia(英語)
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2020年代 | |
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実用車優勝者 |
- 1949・第1回-1949・第2回 後藤欣一
- 1950・第3回-1954・第9回 河内正一
- 1955・第10回 杉井正義
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女子優勝者 | |
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