沖縄県立第一高等女学校
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創立
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1900年
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所在地
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沖縄県島尻郡真和志間切安里村
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初代校長
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生駒 恭人[1][2]
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廃止
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1945年ごろ
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後身校
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同窓会
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財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会
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沖縄県立第一高等女学校(おきなわけんりつ だいいちこうとうじょがっこう)は、かつて沖縄県島尻郡真和志間切安里村(現・那覇市)にあった県立高等女学校。略称は「一高女」。
沿革
行事・課外活動・事件
5月に波上宮の例大祭に参加。ある年ミルクセーキ事件が起きた。
クラブ活動
籠球部(バスケットボール部)
お琴部
修学旅行
1918年から毎年3月に、1ヶ月近くかけて行った。1918年の場合は九州・山陽・関西・名古屋・東京・日光に行った。1939年10月は短縮され、これが最後の修学旅行となった。「…東京は防空演習で僅かに明るいのがゴーストップの赤と緑の電燈だけ…」という状況もあった。
その他
- 創立記念日は4月2日であった[9]。
- 学校の門前に勉強堂という文房具店があり、菓子も扱っていたことから、よく女子生徒がたむろしていた。
- 白紙同盟 - 試験中に紙切れが回ってきて、全員が白紙で提出することが時々行われ、先生を泣かせたこともあった。
脚注
参考文献
- 沖縄県女師・一高女同窓会『ひめゆり 女師・一高女沿革誌』1987年
- 琉球政府 著、琉球政府 編『沖縄県史. 第4巻 (各論編 第3)』琉球政府、沖縄県、1966年。
関連項目
外部リンク