氷川神社 (東久留米市南沢)
氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都東久留米市南沢[3]にある神社。 東久留米総鎮守。旧社格は村社。南沢氷川神社とも称される。 歴史創建年は不明[4][5]。氷川神社の神職22世・栗原済之進が1900年(明治33年)に書き残したところによると[6]、古くより黒目川支流・落合川上流の水源地(現在の南沢湧水群)にあり、湧水の守護神として奉られていたものが、周辺が開発され、出雲斐伊神社の故事に倣って創建されたと伝えられている[2][6][5]。 現存する1654年(承応3年)2月15日の棟札から、南沢村、田無村、入間村、下新井村の総氏子中によって再建がなされたことが分かる[2][7][8]。その際に尽力したのは、徳川家の重臣・久世大和守、神谷与七郎、峰屋半之焏らの有力者だった[2][7][8]。 明治初年、村社に昇格し神饌幣帛料指定神社となって以来、神社の大祭には供進使の参向があり、湯の花神楽や獅子舞行事、疫病祓の夏祭など多彩な神賑祭礼が行われてきた[9]。 氷川神社は、長い年月の間に数回、再建されたとみられている。1937年(昭和12年)には、社殿の老朽化に伴って改築計画が立てられたものの、第二次世界大戦の開戦によって一時中止となり、終戦後の1950年(昭和25年)4月、氏子などの尽力によって竣工した[9]。 1969年(昭和44年)3月18日、火災のため社殿を焼失し、再度氏子などから協賛を得て、1971年(昭和46年4月)に新社殿が完成した[9]。 1984年(昭和59年)1月に社務所新築などの境内整備を進め、現在に至る[9]。 境内境内末社文化財絵馬奉納されている絵馬は多い。武蔵野の貧しい農村として成立した東久留米においては、一流絵師による作品はないものの、熱心に神仏に祈念と感謝を捧げたことがうかがい知れる[10]。「加藤清正虎退治絵馬」は、東久留米市内で奉納年が明らかなものの中では最古の絵馬とされ[9]、市の有形文化財に指定されている[11]。
※記載のない欄は不詳 上棟札1654年(承応3年)2月の社殿再建の棟札で、『新編武蔵風土記稿』に記載がある[9][15]。 東久留米市の有形文化財に指定されている[11]。 南沢獅子舞江戸時代初期から旧南沢村に伝わる郷土芸能で、かつては村の長男のみに伝えられてきた[16]。伝承によると延宝年間(1673-1681)に伊勢から伝わったと言われ、舞う際の歌にも「此の獅子は伊勢で生れて江戸そだち」と歌われている[17]。五穀豊穣・悪疫退散を祈願し、豊作だった年に行われていた[18]。戦時中に一度途切れたが戦後に復活し[18]、現在では4年に1度行われている[18]。 1977年(昭和52年)4月1日に「東久留米市指定無形民俗文化財 第1号」に指定された[18][19]。 祭礼日を毎年9月15日としていたが、のちに10月15日になり、現在では不定期[16]。 獅子頭は「竜頭」で、笛や太鼓にあわせ、女獅子をめぐって二頭の男獅子が勇壮に踊り狂う場面がある[9]。ひとりが一つの獅子頭をつけ、腹に太鼓を付けた3匹の獅子が出てきて踊る、「一人立三匹獅子舞」が中心[16]。 獅子舞のほか、山の神、太刀使、世流布、神楽、万歳(まんざい)などが加わる[9]。
祭礼兼務社東久留米市内・近隣にある11の神社を、氷川神社の宮司が兼任している。そのため、通常は無人となっている[20]。
資料写真
交通アクセス脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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