水野南北水野 南北(みずの なんぼく、宝暦10年(1760年)ごろ-天保5年(1834年))は、江戸時代後期の観相家。当時、日本一の観相家といわれ、現代においてもその著書で観相を学ぶ者は多い。また「節食開運説」の提唱者でもある。 生涯水野南北は、大坂阿波座(大阪市西区)生まれ。正確な生年、両親の姓名や出自などは一切不明。鍵鍛冶であったことから「鍵屋熊太郎」と呼ばれていたらしいが、実際は無職無頼であったと自ら述べている。のちにその悪行を諫めた真言宗僧侶の海常から観相術を伝授され、以後その道に入る。やがて乞われて相法書を出版し、実力、人気ともに当時随一の観相家となった。 このように観相家として大成した水野南北だが、20代からの多くの観相の経験から、節食が寿命を延ばしさらには運勢を改善することを確信するに至り、40代の後半からは観相を止め、その節食開運説を『相法脩身録』などとして出版した。 50代以降は住まいを京に定め、節食開運説の普及に専念した。その節食開運説に強い影響を受けた者の一人が、直接の門人であった井上正鉄である。 著書
参考図書
関連項目外部リンク
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