水無瀬氏成
水無瀬 氏成(みなせ うじなり)は、戦国時代から江戸時代の公卿。正二位・権中納言[1]。 生涯元亀2年(1571年)10月27日、水無瀬兼成の嫡子として誕生する。 だが、兼成が高倉永家の四男・親具をすでに養子としていたため、その跡目をめぐって争いが起きた。結局、親具は水無瀬家を去り、別家となる堀河家を立ち上げた。 寛永21(1644年)9月17日、死去。享年74(満72歳没) 人物歌人として、『詠富士和歌』『水無瀬富士百首』などを詠んだ。また、著書『和歌当務抄』『隠岐記』を残している。 脚注関連項目 |