水沼県主(みぬまのあがたぬし)は、筑後国三潴郡一帯を支配していた県主の一つ。水間君の祖。
日本書紀の記述
【日本書紀 景行天皇十八年七月丁酉条】(18年7月7日)
八女県 に着いた景行天皇が藤山[1]を越え、南方の粟岬を望んだ。
そして詔して「その山の峰は幾重にも重なってとても美しい。もしや神がその山におられるのか」と言った。
そこで水沼県主猿大海が「八女津媛という名の女神がおられます。常に山の中においでです」と言った。
関連項目
脚注
- ^ 八女県(やめのあがた)と浮羽邑(うきはむら)との国境に有る