水上不二水上 不二(みずかみ ふじ、男性、1904年(明治37年)1月10日 - 1965年(昭和40年)3月31日)は、日本の詩人、童話作家、絵本作家、作詞家。 来歴宮城県本吉郡大島村(現在の気仙沼市)字長崎にて父・佐助、母・あやの の次男として生まれる。 1918年(大正7年)、本吉郡立水産学校(現在の宮城県気仙沼向洋高等学校)に入学し、卒業後は1922年(大正11年)9月より本吉郡内の小学校3校に勤務した。その後、1928年(昭和3年)4月に上京し、東京府南葛飾郡の松江第一小学校に勤務した。 1930年(昭和5年)、処女詩集『私の内在』を発行する。この頃より鈴木三重吉、北原白秋らが発刊した「赤い鳥童謡運動」に参加。雑誌『童魚』・『コドモノクニ』・『綴方倶楽部』などに童謡、童話を発表した。 1937年(昭和12年)3月、童話童謡雑誌『昆虫列車』を創刊したが、同年12月に終刊となる。その後、詩集や童話集を発行した。また、故郷の気仙沼市や居住していた東京都小金井市の小・中学校の校歌、各地の小唄や音頭などを多数作詞した。 1965年、小金井市の自宅にて死去。61歳没。 人物児童文学や詩歌などの作品を多数残しており、最近[いつ?]になり相次いで書籍として出版されている。また、故郷の気仙沼にある大島をこよなく愛し、「海はいのちのみなもと 波はいのちのかがやき 大島よ 永遠に緑の真珠であれ」と謳っている。また「永遠」は、(とこしえ)と読むと、生前不二が語っていた記録が残っている[要出典]。 まど・みちおは友人であり、未発表作を多数保管していたが、2000年代になり詩人の水内喜久雄に遺作を託した。 著作書籍
校歌主宰同人誌
関連書籍
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