母恩寺
母恩寺(ぼおんじ)は、大阪市都島区にある浄土宗の寺院(尼寺)。山号は法皇山。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば創立は仁安3年(1168年)、開基は後白河法皇である。 歴史高野山金剛峯寺に参詣する途中であった後白河法皇は、大川沿いの風光明媚の地でありながら、たびたび洪水で被害を被っていたこの地を憐れんで、永暦元年(1160年)に十五社神社を建立した。そして、仁安3年(1168年)にやはりこの地が気に入ったのかこの場所に目をとめ、久安元年(1145年)に亡くなった母待賢門院の菩提をここで弔おうと考え、十五社神社の北側に寺を建立した。寺名の由来は「産んでくれた母への恩返し」という意味による[1]。 以降数箇所の荘園を有する大寺院として興隆し、浄土宗の尼寺として代々皇女が住持を勤めた。しかし、度重なる淀川の洪水や兵火にあって衰微し、明治時代に入ってからの廃仏毀釈の影響や、1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲によって堂宇を焼失し、現在の境内に落ち着いた。本堂は1992年(平成4年)に新築され、5月1日に落慶法要が営まれた[2]。 元禄14年(1701年)刊の『摂陽群談』によると、本尊の阿弥陀如来は恵心僧都源信の作であるという。また、この寺の尼僧が作る美しい綿帽子は「滓上江(かすがえ)の綿帽子」として有名であった。 境内鵺塚母恩寺から南東に約500mの場所に「鵺塚」がある。平安時代に京で源頼政が鵺を退治した、そしてその遺骸を淀川に流したところ、この地にたどり着いた。付近の村人たちはその祟りを恐れて母恩寺の住職に弔ってもらい、鵺塚を建立した[3]。鵺塚は明治時代に取り壊されかけたが、鵺の怨霊が地元住人を悩ませたりしたので、慌てて鵺塚は修復された。 周辺脚注
参考文献
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