残波岬残波岬(ざんぱみさき)は、沖縄県中頭郡読谷村に属し、東シナ海に面する岬である。 沖縄本島の中央部よりやや南側に位置し、沖縄海岸国定公園の一部に含まれ、同国定公園の北東端にあたる。突端部の一角に残波岬灯台が建つ。 残波岬の呼び名について(1)残波岬の呼び名系 ※儀間・渡慶次・宇座海域調査表では「ザンパ」岩。(1981年『読谷村立歴史民俗資料館紀要 第5号』掲載「読谷村の漁業」(名嘉真宜勝)及び、1996年「読谷村海岸・海域環境基礎調査」による)礁縁(ヒシ=干瀬)のうみんちゅ呼び名から。 うちなぁぐち・明治政府・海軍水路寮(薩摩閥)の表記・呼称に従う系列。現行の国土地理院表現。 資料編年(頃含む)・呼び名・出典を以下に示す。 ・1853 Gama satchi [ペリー沖縄遠征隊GREAT LIU CHEW] ・1855 山谷﨑 [米海軍北太平洋測量艦隊 LIU KIU] ・1873 カ(ガン?)マ崎 [銅刻琉球諸島全図 大槻文彦] ・1874 山谷﨑 LIU KIU AND ADIACENT ISLAND [海軍省水路寮 琉球群島之圖 柳楢悦] ・1876 山谷﨑 [大日本詳細全圖・森 琴石、武藤吉次郎] ・1882 ザンパ岬 [沖縄県地誌略全 沖縄師範学校] ・1894 残波岬 [OKINAWA GUNTO 海軍水路部) ・1903頃 ザンパ美崎 [上り口説、下り口説] ・1906 残波岬 [琉球の研究 加藤 三吾] ・1908 Zanpa Misaki [海図182号乙・海軍水路部] ・1914 残波岬 [沖縄県管内里程調査図] ・1921 残波岬 [大日本帝国陸軍陸地測量部] ・1922 残波岬 [大日本交通全図・大阪毎日新聞] ・1925 残波岬 [海南小記・柳田國男] ・1944 残波岬・残波岩 [大日本帝国海軍水路部] 灯台から南西780mの海上に「(5.8)岩波残」の表記有り。残波岩は、+5.8フィート=海抜+1.5mの陸地として取り扱われている。 ・1945 ZAMPA-MISAKI [米英連合軍] ・1950 ザンパ美崎 [南東風土記 東恩納寛惇] ・1959 Zampa-misaki [琉球列島米国民政府] ・1973 残波岬 [国土地理院地形図]
※儀間・渡慶次・宇座海域調査表では「ヲージノサチ(残波岬灯台地先」。(1981年『読谷村立歴史民俗資料館紀要 第5号』掲載「読谷村の漁業」(名嘉真宜勝)及び、1996年「読谷村海岸・海域環境基礎調査」による) 呼び名に、「お」が使用されている。琉求・志那(明・清)漢字・陸軍陸地測量部(長州閥)の呼称に従う系列。浦添・首里から見た、ずーっと北(にし)の方の土地の意味から。1921年 大清帝国滅亡以降は、表記・呼称が途絶える。 資料編年・呼び名・出典を以下に示す。
・1696頃 大西埼 [琉球圀圖 大宰府天満宮奉納] ・1700頃 おにし崎 [琉球圀沖縄圖 元禄圖] ・1840頃 おにし崎 [天保年間国絵図 沖縄嶋][於(お)爾(に)之(し)の変体ひらがな] ・1863 ヲニン岬 マヘタ岬 [大日本圀細圖西国之圖 松田緑山] ・1866 読谷山崎 [続琉球圀志路] ・不明 ヲニスサキ(多通カタ 内ハフセ[船通り多い 下は干瀬]) ・1872 ヲニン甲 マヘタ [銅刻大日本増補輿地全図 若林喜兵衛] ・1874 真榮田嵜 [銅鐫琉球国全島図 青江秀識] ・1875 前田サキ [新撰日本全図琉球諸島之図 ト部精一] ・1876 於仁志崎 [照日本明治八年官撰地書譯出] ・1877 オニン嵜 [沖縄誌一名琉球志一 伊地知貞磬] ・1890 於仁志崎 [琉球全図 大日本帝国陸軍陸地測量部] ・1894 於仁志崎 [大日本管轄分地図 後藤常太郎] ・1902 伊仁志崎 [大日本国海陸精図 山田尚義、千桝源蔵] ・1909 於仁志崎 [大日本帝国陸軍陸地測量部] |