歌川国貞 (3代目)三代目 歌川国貞(さんだいめ うたがわ くにさだ、嘉永元年(1848年) - 大正9年(1920年)10月26日)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。 来歴三代目歌川豊国及び四代目歌川豊国の門人。姓は竹内(母方)、幼名は朝太郎、名は栄久。梅堂、梅朝楼、香朝楼、一寿斎、梅堂豊斎、芳斎と号す。江戸(現在の東京都区部)日本橋の生まれ。父は大阪屋栄次郎(杵屋貞山)、母は堀利煕の藩士の娘で竹内さとといった。生後まもなくして一家は深川富吉町に移る。3代国貞は母方の姓を称しており、安政5年(1858年)、11歳で父の友人歌川国麿の父を介して狂言作者の桜田左交(3代治助)に伴われて三代目豊国に入門し、梅堂国政・一寿斎国政(四代目歌川国政)と称した。三代目豊国の没後、二代目歌川国貞(四代目豊国)に学ぶ。明治22年(1889年)に三代目として国貞の名を継ぎ、香蝶楼と号す。さらに明治24年(1891年)以降、豊斎と号した。主に文明開化絵や役者絵を描き、初代市川左團次の似顔絵を得意としていた。風俗画も多く描いている。蠣殻町2丁目に住し、後に浅草田町に移った。 国政時代には「東京十二景」、「東京写真名所一覧」、「東京開化名景競」、「東京尾張街繁栄之図」、「東京銀座煉瓦石造繁栄之図」などの3枚続がある。蒸気機関車を何枚も描いて開化絵に積極的であった。その他、団扇絵、横浜絵、役者の似顔絵、博覧会図、版本、新聞挿絵なども手がけている。役者絵では市川左団次を得意としていた。大正9年10月26日死去。享年73。 作品
参考文献
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