橘ノ圓 (初代)
初代橘ノ 圓(たちばなの まどか、1868年 - 1935年6月29日)は、落語家。本名、五十嵐 銀次郎。兄は2代目三遊亭圓馬。 生涯11歳の時、初代三遊亭圓朝門下となり、朝二(または朝治、圓治)を経て、2代目橘家圓三郎となる。1891年、師圓朝の寄席引退に同調した兄圓馬の上方巡業に同行し、そのまま兄弟共に大阪に定住、師の年忌のほかは江戸に戻ることはなかった。1906年、師圓朝の7回忌の時に「圓頂派」を結成し、橘ノ圓を名乗る。 一門は全て坊主頭といった出立ちで、主に神戸を中心に高座に上がり、巡業にも良く出た。1910年に帰京し、3代目柳家小さん門下となり柳家圓を名乗るが、間もなく大阪へ戻り、橘ノ圓に復す。大阪では三友派に属していたが、後に5代目橘家圓太郎らと共に浪花落語反対派に移る。 『子は鎹』『三味線栗毛』などが十八番であった。また踊りも良くし、50歳を越して圓朝一門で音曲師の初代立花家橘之助と結婚。兄に似て人格者で、いつも身仕舞い正しく、賭博と酒は一切嗜まなかったという。 晩年は名古屋市中区を経て、1935年(昭和10年)6月10日、京都市上京区平野鳥居前に住まいを移す。 しかし、そのわずか19日後の6月29日、京都大水害(鴨川水害)により自宅が倒壊して下敷きになったところに、北野天満宮そばの紙屋川が氾濫して濁水が押し寄せ妻と共に水死した[1]。享年66。墓所は神楽坂の清隆寺。法名:清浄院橘圓日香居士。 弟子脚注
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