樫尾忠雄
樫尾 忠雄(かしお ただお、1917年(大正6年)11月26日 - 1993年(平成5年)3月4日[1])は、日本の実業家。カシオ計算機の創業者である。 経歴高知県長岡郡久礼田村(現・南国市)出身[1]。1923年に一家で東京に移り、旋盤工を皮切りに機械・道具製作の道に進む[2]。その間に早稲田工手学校(現・早稲田大学)にも在籍した[2]。 1946年、東京都三鷹市に樫尾製作所を創業[2]。すぐ下の弟である俊雄が逓信省を退官して参加[2][3]。俊雄の考案した「指輪パイプ」(喫煙補助具)がヒットしてできた資金を元に電気式計算機の開発を開始、俊雄の弟である和雄と幸雄も加わって1957年に商品化に成功し、同年カシオ計算機が設立される(初代社長は忠雄ら兄弟の父である樫尾茂(1898〜1986))[2][3]。1960年5月に社長に就任[2]。 カシオ計算機は電子式計算機の導入には後れを取ったが巻き返し、1960年代後半には日本国外にも販路を広げた[2]。1972年、世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を当時としては革命的な1万円台で発売しスマッシュヒットを記録。電卓メーカーとしての地位を不動のものにした[4]。 カシオ計算機はその後もG-SHOCK、カシオトーン、カシオトロン、ペラなどの製品を次々と世に送り出した。 1988年に相談役となる[1]。日本経済新聞に兄弟との日々をつづった私の履歴書を連載、のちに「兄弟がいて」の題名で単行本化された。 1993年3月4日死去[1]。 親族長兄の忠雄を含めた4人の兄弟でカシオ計算機を創業。他の3人は俊雄(元名誉会長)・和雄(元会長)・幸雄(特別顧問)である[3][4]。 2015年よりカシオ社長を務める樫尾和宏は和雄の子息で[5]、忠雄の甥に当たる。 脚注
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