楠木 正時(くすのき まさとき)は、南北朝時代の武将。楠木正成の次男で、正行の弟、正儀の兄。正平3年/貞和4年1月5日(1348年2月4日)、四條畷の戦いで南朝軍の副将として戦い、総大将の兄と共に討死した。
生涯
正平3年/貞和4年1月5日(1348年2月4日)、南朝の楠木正行と北朝の高師直の間で、四條畷の戦いが発生。正行と共に弟も戦死した(『園太暦』『阿蘇文書』)。諱は不明だが、その通称は「次郎」である(『薩摩旧記』)。
一次史料から確実にわかるのは以上が全てであり、諱や享年すら不明である。時代が近い二次史料としては、諱は洞院公定『尊卑分脈』から「正時」と確認することができる。通称の漢字はこちらでは「二郎」となっている。
なお、『観心寺文書』中に、正平4年8月29日付左衛門尉(花押)橋本九郎左衛門入道宛の書状および正平5年4月13日付左衛門尉(花押)観心寺寺僧宛の執達状があり、観心寺の寺伝はこれを正時のものと伝えているが、時期から言って実際は弟の楠木正儀のものである。
明治22年(1889年)、四條畷神社が建立され、その祭神の一柱となった[6]。大正3年11月19日贈正四位[3][6]。
登場作品
桜嵐記(宝塚歌劇・月組公演)(2021年、演:鳳月杏)
脚注
注釈
出典
- ^ a b 『官報』第692号「叙任及辞令」1914年11月20日
- ^ a b takada: “四條畷神社由緒記”. Monumento (2010年7月24日). 2019年5月9日閲覧。
参考文献
関連項目