植竹三右衛門 (1854年生の実業家)先代 植竹 三右衛門(うえたけ さんえもん[1]、1854年3月13日(安政元年2月15日)[2] - 1933年(昭和8年)7月6日[3][4])は、日本の政治家(貴族院議員)[4][5][6][7]、実業家、資産家[8]、篤農家[9]、味噌醤油醸造家、栃木県の大地主[1]、栃木県地主会顧問[10]、栃木県多額納税者[6][11][12]、宇都宮商業会議所特別議員[5][6]。勲四等[4]。族籍は栃木県平民[6][11]。 人物下野国那須郡、のちの栃木県那須郡川西町[13](現大田原市)で三右衛門[10](のち三重郎)の二男として生まれた[5][6]。家は代々素封家として知られた[7]。1874年、家督を相続し[5][13]、幼名・虎次郎を改め、三右衛門を襲名した[10][13]。農業[2]、味噌醤油醸造業を営む[14][15]。傍ら殖産興業に鋭意し、実業界に活躍し、公共慈善事業に尽くした[10]。 1899年、氏家銀行を1900年、那須商業銀行等を起こして取締役となった[10]。1911年、栃木県多額納税者として貴族院議員に互選され[10]、同年9月29日から[16]1918年9月28日まで1期在任した[3]。植林に志し1914年、下野造林を創設して顧問となり、息子・熊次郎を社長とした[10]。荒蕪地を開拓し美田良圃とした[10]。 栃木県農工銀行頭取[7][10][11]、東海銀行副頭取[11]、氏家銀行、宇都宮瓦斯、日本製麻、下野新聞各取締役[11]、東洋薬品監査役などをつとめる[11]。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[17]。直接国税総納額は、1898年出版の『全国多額納税者互選名鑑』によると「739円36銭6厘」[18]、1925年6月1日現在は「6569円95銭」である[17]。宗教は浄土宗[12]。趣味は音曲[12]。住所は栃木県那須郡川西町大字黒羽向町[7]、東京牛込市谷山伏町[14]。栃木県在籍[14]。 家族・親族
脚注
参考文献
|