椋神社(むくじんじゃ)は、「延喜式神名帳」に掲載された武蔵国秩父郡の式内社である。同名社が秩父郡市内に5社を数え、明治政府はいずれの神社にも式内社と称することを許したという。
- 椋神社(埼玉県秩父市下吉田)
- 椋神社(埼玉県秩父郡皆野町皆野)
- 椋神社(埼玉県秩父郡皆野町野巻)
- 椋神社(埼玉県秩父市蒔田)
- 椋神社(埼玉県秩父市蒔田)
- 五所神社(埼玉県秩父市伊古田)…秩父市下吉田の椋神社を分霊したと言われている。
ここでは、埼玉県秩父市下吉田に鎮座する椋神社について記載する。
概要
旧社格は県社。元は井椋(いくら)五所大明神と号しており「いくらじんじゃ」が本来の呼称である。近世になり地元以外から「むくじんじゃ」と読まれることが多くなり現在の呼称になったという。例祭の際に龍勢を打ち上げる秩父吉田の龍勢は有名である。
明治17年(1884年)10月31日、秩父困民党の決起集会が行われた場所でもある。秩父事件120周年を迎えた2004年には、記念作品映画「草の乱」の撮影が行われた。
祭神
下吉田椋神社
中蒔田椋神社
- 猿田彦命
- 日本武尊が東征の際、光を放った矛に導かれ、井の辺のムクの木陰から猿田彦命が現れ道案内をした。矛を神体として猿田彦命を祀った。
上蒔田椋神社
- 大己貴命
- 日本武尊が東征の際、光を放った矛に導かれ、井の辺のムクの木陰から大己貴命が現れ道案内をした。矛を神体として大己貴命を祀った。
由緒
社伝によれば、日本武尊が東征の折創建したという。
神殿の造立起源は和銅3年(710年)、多治比真人が籾五斗と荷前を奉ったことという。
社格
神階
椋神
- 貞観13年(871年)11月10日 - 從五位上[1]
- 永徳2年(1382年) - 從二位
近代社格制度
椋神社
- 明治六年 - 郷社
- 明治15年6月15日 - 県社
- 大正10年10月4日 - 神饌幣帛料供進神社
摂末社
一の鳥居左側の境内社
本殿左側の境内社の合殿
本殿左側の境内社の合殿
本殿左側の境内社
- 若宮八幡社 - 大正5年11月13日に秩父十郎武綱の館の邸内社を合祀
文化財
アクセス
下吉田椋神社
中蒔田椋神社
上蒔田椋神社
所在地
- 北緯36度2分42.32秒 東経139度1分58.52秒 / 北緯36.0450889度 東経139.0329222度 / 36.0450889; 139.0329222
- 国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1地形図名:皆野
脚注
- ^ 『日本三代実録』《卷二十貞觀十三年(八七一)十一月十日壬午》○十日壬午。雷電。』授武藏國正五位上勳七等秩神從四位下。從五位下椋神從五位上。飛騨國正五位下水無神正五位上。出雲國正五位上湯神。佐往神並從四位下。從五位上能義神。佐草神。揖屋神。女月神。御譯神。阿式神並正五位下。從五位下斐伊神。智伊神。温沼神。越中國從五位下楯桙神並從五位上。
関連項目
外部リンク