森川卓郎
森川 卓郎(もりかわ たくろう、1941年8月28日- )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。 来歴・人物広島商業高校では、エースとして1959年春季中国大会で準々決勝に進むが、倉敷工に惜敗。同大会の県予選決勝では三浦和美らのいた広陵高をノーヒットノーランに抑えている。同年夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。高校同期に松村正晴がいる。 卒業後は神奈川大学に進学。大学では主戦投手として活躍し、横浜五大学野球リーグで4回優勝。全日本大学野球選手権大会には3回出場し、1963年には準決勝に進出するが慶大に敗れた。4年春にリーグ最優秀選手。 1964年に地元チームでもある広島カープへ入団、5月から先発陣の一角として起用される。5月17日には巨人を相手に先発し初勝利。6月9日には大洋の高橋重行と投げ合い、9回サヨナラ完封勝利を記録する。同年は21試合に登板、3勝を挙げた。しかし2年目は1勝にとどまる。その後は左肩を痛め、1967年オフを以って26歳で引退した。武器はカーブとシュート、シンカーであった。 現在は、広島市南区にある鋼材関連の企業(興永鋼材)で、取締役会長を務めている。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
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