棚澤書店(たなざわしょてん)は、東京都文京区本郷六丁目にある明治中期に建てられた木造の2階建ての古書・専門書の店舗。
概要
明治時代(1868年 - 1911年)の中期、洋品店舗として建築され、1923年(大正12年)に起きた関東大震災、その後の、第二次世界大戦や東京大空襲においても被害を受けなかった。当時の、東京大学周辺の商家の町並み景観を伝える建物で、歴史的建造物として国の登録有形文化財(建造物)に登録されている。
沿革
- 明治中期(年代不詳) - 現在の建築物が建てられる。
- 1905年(明治38年) - 埼玉県熊谷市より棚沢勝蔵上京、本郷の古書店「有終閣」にて修業。
- 1920年(大正9年) - 東大農学部前にて、独立して棚澤書店を開業。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災において震災を免れる。
- 1926年(大正15年) - 棚沢孝一、埼玉県熊谷市にて7人兄弟の末弟として生まれる。
- 1931年(昭和6年) - 明治中期に建築された洋品店(現在の建物)を借り、棚澤書店の支店を開業。
- 1941年(昭和16年) - 強制疎開命令を受け、支店を本店とする。
- 1945年(昭和20年) - 3月の東京大空襲をはじめ東京は米軍の空爆にさらされるも、建物は戦災を免れる。
- 1948年(昭和23年) - 棚沢孝一、棚沢勝蔵の二女と結婚、二代目古書店棚澤書店の店主となる。
- 2002年(平成14年) - 建物が国の登録有形文化財に登録される[1]。
文化財
- 登録有形文化財(建造物)
- 棚澤書店
- 明治中期 建築:木造2階建、瓦葺、建築面積:29㎡[2]。
- 登録年月日:2002年(平成14年)6月25日、種別:産業3次、登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの。
- 棚沢孝一の店舗解説[1]
建物は東大正門前の本郷通りに面し、明治の
棟梁が心を込めて作った木造2階建、質素で堅牢な江戸商家様式で、明治中期の商店建築です。
通常2階建ての家は大屋根の軒が短く、壁又は窓の上に桁を作り屋根を支えている。ところが我が家の軒は約1mと長く出ており、この為、約40cmの長さで15cmの角材が外に出て、更に、その上に「出し桁」が作られ屋根を支えているのが特徴です。長い軒は建物本体を風雨から護っています。 2階ベランダに手すりを回して居る事は当事洋風建築を取り入れた和洋折衷の姿です。 1、2階の天井の高さが低いのは、明治中期の庶民建築の特徴です。
— 棚沢孝一著、『慈愛だより「わが町探訪 第一回」』慈愛病院より抜粋
交通アクセス
ギャラリー
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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