棗荘市

中華人民共和国 山東省 棗荘市
山東省中の棗荘市の位置
山東省中の棗荘市の位置
山東省中の棗荘市の位置
中心座標 北緯34度52分 東経117度3分 / 北緯34.867度 東経117.050度 / 34.867; 117.050
簡体字 枣庄
繁体字 棗莊
拼音 Zăozhuāng
カタカナ転写 ザオヂュアン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
山東
行政級別 地級市
市委書記 陳平
市長 張宏偉
面積
総面積 4,550 km²
人口
総人口(2004) 365 万人
経済
GDP(2003) 383.24 億元
一人あたりGDP 10,558元
電話番号 0632
郵便番号 277101
ナンバープレート 魯D
行政区画代碼 370400
市花 ザクロ
公式ウェブサイト http://www.zaozhuang.gov.cn/

棗荘市(そうそうし)は、中華人民共和国山東省に位置する地級市

日中戦争では台児荘の戦いが勃発した場所である。このほかに映画『鉄道遊撃隊zh)』で日中戦争の取材地となった。

地理

棗荘市は山東省南部に位置し、江蘇省徐州市に隣接する。

石炭の開発が盛んだったが最近では石炭が枯渇してきており、加えて、都市の地下は空洞部分が多いことから地盤沈下が激しく、市政府は現在、元々あった場所から移転している。

新都市建設プロジェクトは2000年5月18日に正式に発表されて以来、累計6.6億元投資された。2010年までに棗荘市の市クラスの機関は全て新城区に移転し、新都市の面積は10平方キロメートルになり、居住人口は10万人になる。新城区と薛城区高新区が新都市の中心となる。

濫邑(現在の滕州市)は戦国時代の思想家の墨子の故郷と言われている。

産業

農業では、ザクロの栽培で中国屈指の栽培面積を誇る。2023年9月24日には、習近平総書記が視察した[1]

行政区画

5市轄区・1県級市を管轄する。

棗荘市の地図

年表

この節の出典[2]

魯中南行政区台棗専区

魯中南行政区尼山専区

滕県専区

  • 1950年5月9日 - 魯中南行政区尼山専区済寧市済北県平邑県白彦県滋陽県滕県鳧山県曲阜県鄒県、魯中南行政区台棗専区嶧県沛県銅北県崋山県豊県麓水県臨城県棗荘弁事処湖区弁事処を編入。滕県専区が成立。(14県)
    • 麓水県が白彦県に編入。
    • 済寧市・済北県が合併し、済寧県が発足。
    • 棗荘弁事処が嶧県に編入。
    • 湖区弁事処が臨城県・嶧県に分割編入。
  • 1950年11月18日 - 済寧県が市制施行し、済寧市となる。(1市13県)
  • 1951年6月16日 - 済寧市の一部が分立し、済寧県が発足。(1市14県)
  • 1952年3月18日 (1市14県)
  • 1952年8月18日 - 臨城県が薛城県に改称。(1市14県)
  • 1952年11月25日 - 豊県・沛県・銅北県・崋山県が江蘇省に編入。(1市10県)
  • 1953年7月2日 - 滕県専区が湖西専区と合併し、済寧専区の発足により消滅。
    • 平邑県が臨沂専区に編入。

棗荘市

  • 1960年1月7日 - 嶧県が県級市の棗荘市に改称。
  • 1961年9月12日 - 済寧専区棗荘市が地級市の棗荘市に昇格。斉村区台児荘区嶧城区薛城区を設置。(4区)
  • 1976年7月12日 - 斉村区の一部が分立し、市中区が発足。(5区)
  • 1978年11月17日 - 済寧地区滕県を編入。(5区1県)
  • 1983年11月15日 (5区1県)
    • 斉村区の一部が市中区に編入。
    • 斉村区の残部・滕県の一部が合併し、山亭区が発足。
  • 1988年3月7日 - 滕県が市制施行し、滕州市となる。(5区1市)

脚注

  1. ^ 習近平総書記が山東省棗荘市を視察”. 人民網日本語版 (2023年9月26日). 2023年10月10日閲覧。
  2. ^ 山东省 - 区划地名网

外部リンク