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艦歴
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計画 |
1917年度[1]
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起工 |
1917年11月5日[1]
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進水 |
1918年2月24日[1]
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就役 |
1918年3月31日[1]
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除籍 |
1933年9月1日[1]
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その後 |
除籍後、横須賀海軍航空隊の練習標的として夏島沖に係留[1] 1936年8月15日横須賀港外で台風により漏水沈没[1] 1937年4月1日解体訓令[1]
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解体 |
1938年1月10日[1]
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性能諸元(計画)
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排水量 |
基準:770トン 常備:850トン
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全長 |
全長:290 ft 0 in (88.39 m)[注釈 1] 垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)[2]
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全幅 |
25 ft 4 in (7.72 m)[注釈 1]
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吃水 |
7 ft 10 in (2.39 m)[注釈 1]
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機関 |
推進:2軸 x 730rpm 主機:ブラウン・カーチス式単式直結タービン 2基 出力:17,500馬力 ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、石炭重油混焼2基
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速力 |
31.5ノット
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燃料 |
重油212トン、石炭98トン
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航続距離 |
3,000カイリ / 14ノット
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乗員 |
竣工時定員 112名[3]
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兵装 |
45口径三年式12cm単装砲3門 三年式機砲(6.5mm機銃) 2挺 45cm3連装魚雷発射管2基6門
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搭載艇 |
4隻
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桑(くわ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、楢型駆逐艦の2番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「桑」があるため、こちらは「桑 (初代)」や「桑I」などと表記される。
艦歴
1917年(大正6年)11月5日、呉海軍工廠で起工[4]。1918年(大正7年)2月23日午前9時32分進水[5]。同年3月31日竣工[6]。
1933年(昭和8年)9月1日除籍。その後、横須賀海軍航空隊の練習標的として夏島沖に係留。1936年(昭和11年)8月15日、横須賀港外で台風により漏水沈没。1938年(昭和13年)1月10日に解体。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 岩城茂身 少佐:1917年12月1日[7] - 1918年3月9日[8]
- (兼)岩城茂身 少佐:1918年3月9日[8] -
- 駆逐艦長
- 岩城茂身 少佐:1918年3月9日[8] - 12月1日[9]
- 石井先知 少佐:1918年12月1日[9] - 1921年2月10日[10]
- 浅井次郎 少佐:1921年2月10日[10] - 1921年11月20日[11]
- (心得)柳原信男 大尉:1921年11月20日[11] - 12月1日[12]
- 柳原信男 少佐:1921年12月1日[12] - 1922年2月1日[13]
- 藤堂功 少佐:1922年2月1日[13] - 1923年12月1日
- 横山茂 少佐:1923年12月1日[14] - 1925年5月20日[15]
- 河瀬四郎 少佐:1925年5月20日 - 12月1日
- 高橋一松 少佐:1925年12月1日 - 1927年11月15日
- 成田忠良 少佐:1927年11月15日[16] - 1929年11月30日[17]
- 佐藤俊美 少佐:1929年11月30日 - 1930年12月1日
- (兼)牟田口格郎 少佐:1930年12月1日 - 1931年10月31日
- (兼)平山武俊 大尉:1931年10月31日[18] - 12月1日[19]
- (兼)曽木与吉 大尉:1931年12月1日[19] - 1932年2月5日[20]
- (兼)宮崎定栄 大尉:1932年2月5日[20] - 1932年4月1日[21]
脚注
注釈
- ^ a b c #昭和造船史1pp.788-789、6.駆逐艦及び水雷艇要目表では桃型と同じ水線長85.85m、垂線間長83.82m、最大幅7.74m、公試状態吃水2.36mとしている。また#日本駆逐艦史1992p.52では全長85.9mとしている。
出典
- ^ a b c d e f g h i 『日本海軍史』第7巻、299頁。
- ^ #横須賀海軍工廠史3p.13。ただし楢の値として。
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.570-571『大正六年十二月二十八日(内令三二三) 海軍定員令中ノ通改正セラル 驅逐艦定員表其二ヲ附表ノ通改ム(附表略)』槇を追加、將校、機關將校6人、特務士官、准士官3人、下士24人、卒79人。
- ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦浦風、江風、製造(1)画像8『大正六年十一月六日 呉海軍工廠長 伊藤乙次?(中略)官房機密第一三三六號ノ二訓令ニ依リ當廠ニ於テ建造スヘキ驅逐艦桑椿ハ本月五日午後二時二十分起工致候 右報告ス(終)』
- ^ #T7公文備考22艦船3/引渡、授受画像38『大正七年二月廿三日(中略)桑、椿、二十三日午前九時三十二分無事進水セリ(了)』
- ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦浦風、江風、製造(1)画像27『桑本日同艦長ニ引渡結了 三月三十一日 呉鎮長官』
- ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ a b c 『官報』第1679号、大正7年3月11日。
- ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
- ^ a b 『官報』第2557号、大正10年2月12日。
- ^ a b 『官報』第2793号、大正10年11月22日。
- ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2849号、大正11年2月2日。
- ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
- ^ 『官報』第3821号、大正14年5月21日。
- ^ 『官報』第266号、昭和2年11月16日。
- ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ 『官報』第1454号、昭和6年11月2日。
- ^ a b 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
- ^ a b 『官報』第1530号、昭和7年2月8日。
- ^ 『官報』第1575号、昭和7年4月2日。
参考文献
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第34集 日本駆逐艦史』、海人社、1992年7月。
- (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2。
- 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 横須賀海軍工廠/編 編『横須賀海軍工廠史(3)』 明治百年史叢書 第331巻、原書房、1983年8月(原著1935年)。ISBN 4-562-01380-X。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正7年 公文備考 巻20 艦船1/駆逐艦浦風、江風、製造(1)』。Ref.C08021104400。
- 『大正7年 公文備考 巻22 艦船3/引渡、授受』。Ref.C08021108200。
関連項目