桂文昇桂 文昇(かつら ぶんしょう)は、上方落語の名跡。当代は4代目。なお、江戸の桂文生とは別の名跡。
ちなみに、俳優・ミュージシャンとして活躍したフランキー堺は、八代目桂文楽の門下で桂文昇の高座名を授けられているが、この記事で述べられている名跡とは一切関係ない。 2代目
2代目 桂 文昇(? - 1905年9月6日)は、本名不詳。 幕末ころの生まれ、初め桂慶治門下で慶三。後に初代文昇門下で文賀を経て、2代目文昇を襲名。俗に「ホヤの文昇」と呼ばれるが、その理由は不明。 弟子の育成に秀で多くの弟子を輩出した。3代目桂文三、2代目桂扇枝、養子となった2代目桂梅團治、3代目文昇らがいる。 3代目
3代目 桂 文昇(生没年不詳)は、本名: 石谷紋三郎。 初め2代目文昇の門下で昇馬と名乗る。次に2代目笑福亭竹我の門下で2代目福我を名乗り、そのままの名で初代笑福亭福松の門下に移る。最後に3代目文昇を襲名。 元は学校の教員だったが、夜になると高座に上がっていたのを生徒に見つかり、学校を馘になったため、そのまま玄人になった。能筆だったため、その後は代書屋を開きながら高座を勤めていた。 当時の落語家には珍しいインテリで、筆が立つこともあり、『英語屋』『小野小町』といった新作落語を物にし、『三友落語集』(樋口隆文館、1910年)には文昇の新作13編が掲載されている。 音曲の方面でも特に大津絵節は得意で、文昇作の『楠公』という曲は、当時の漫才師などに良く歌われたと言う。 元教員だけに英語が得意で、冒険家・博物学者のリチャード・ゴードン・スミスが著した『日本の昔話と伝説(Ancient tales and folklore of Japan)』の編集に、「フクガ(福我)」の名で協力している。 高座では、僧侶出身の2代目桂菊團治と組んで「記録術」を売物にし、二人で新作落語や大津絵節の合作もした。 出典 |