柳沢徳忠
柳沢 徳忠(やなぎさわ のりただ)は、越後三日市藩の第8代(最後)の藩主。7代藩主・柳沢泰孝の長男。母は松浦皓の娘。官位は従五位下、信濃守。幼名は彰太郎。 経歴安政3年(1856年)4月4日、泰孝の死により家督を相続した。3歳であった。慶応4年(1868年)3月18日に江戸を出発し、4月6日に三日市へ到着した。藩財政が破綻を迎える中での、歴代藩主で初の入部であった、明治元年(1868年)7月28日、官軍に降伏した。同年8月21日、新潟で官軍を率いる小松宮彰仁親王に拝謁した。恭順後は新発田藩と軍事行動を共にしている。同年12月3日、従五位下・信濃守に叙任する。明治2年(1869年)6月21日、版籍奉還により三日市藩知事に就任する。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[2]。昭和11年(1936年)に死去した。 栄典
家族父母 妻
子女
脚注
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