柳家海舟
柳家 海舟(やなぎや かいしゅう、1957年7月22日 - )は、東京都杉並区出身の落語家。落語協会所属。本名は並木 治。出囃子は「二人椀久」[1]。血液型はA型[2]。 来歴東京工業高等学校卒業[2]。1996年に柳家小里んと出会ってから、落語を本格的に学び始める。当初はサラリーマンとして働きながら、素人落語会に参加したり、遊びでエキストラをやったりしていた。40歳を過ぎたあたりから、「もっと面白い人生」としての別の道を歩もうと考えるようになり、プロの落語家になることを決意する[1]。 1999年4月、柳家小里んに入門。2000年4月に前座となり、り助を名乗る。前座時代の2003年7月21日海の日、東京の発展に尽力した勝海舟の功績を顕彰するため、有志らの手によって東京都墨田区役所前の広場に「勝海舟銅像(勝安芳像)」が建てられた[3][4]。当時はまだ前座で墨田区の自宅から浅草の師匠宅へ通うのに、その前を自転車で通るのを日課としていた。それまでは勝海舟への思い入れはなかったものの、銅像建立に気付いたのがきっかけとなり、勝に感興を覚えたという。 2003年10月、柳家喬之進、三升家勝菜と共に二ツ目に昇進。勝の幼名および通称である「 2015年3月21日、三遊亭司、柳家小傳次、四代目桂右女助、四代目入船亭扇蔵、二代目金原亭馬治、二代目金原亭馬玉、三代目柳家さん助、柳家燕弥、三遊亭彩大と共に真打昇進。57歳という昭和以降では最高齢の記録であり、そのことが落語協会新真打のお披露目会見で話題に上ると「年の話は避けて通れないですね」と苦笑するも、同協会会長の四代目柳亭市馬(当時53歳)からは、「私より年の上の人がいる。体に気をつけて」と声援が贈られた[5][6]。真打昇進では前述のとおり「海舟」と改名。改名に際し「これからも墨田の英雄を世に広めるお手伝いをしたい」と今後の抱負を語った[7][8]。なお、海舟の手ぬぐいの畳紙の文字は勝海舟の直筆の字のものである。 芸歴弟子移籍
脚注注釈出典
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