林政敬林 政敬(はやし まさとし、生年不詳 - 嘉永3年7月28日(1850年9月4日), Hayashi Yadayū Masatoshi, 14th head of the Musō Jikiden Eishin-ryū)は、江戸時代後期の土佐藩上士。通称は弥太夫。のち弥内。御馬廻役・林(池田)家の第6代当主。無双直伝英信流第14代宗家[1]。土佐藩居合道の達人[2]。剣術家。 来歴生い立ち土佐藩士・林政長(六之丞)の嫡男として高知城下に生まれる。母は市原辰顕(弥左衛門)の娘[3]。 天明5年5月28日(1785年7月4日)、土佐藩主山内豊雍の時代、実叔父・林政誠の娘(すなわち実従妹)へ入婿として婚し、御目見を仰せ付けらる[3]。 文化13年2月9日(1816年3月7日)、土佐藩主山内豊策の時代、亡養父・林政誠跡目を無相違下し置かる[3]。 同年11月6日(太陽暦12月24日)、当分、御火消方御用を以て、来年3月末日(1817年5月15日)迄、御家中・町方とも火の用心廻番を仰せ付けられる[3]。 文政6年11月6日(1823年12月7日)、前件の通り、火の用心廻番を仰せ付けられる[3]。 政敬が依田萬蔵敬勝から授かった居合の伝書は、谷村亀之丞自雄に伝えられた。 家族補註参考文献
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