林家やま彦
林家 やま彦(はやしや やまびこ、1995年9月26日 - )は、東京都出身の落語家[1]。出囃子∶『やまびこごっこ』[1]。紋∶光琳蔦。本名∶伊東 瞭。 経歴2016年7月、林家彦いちに入門[1]。2017年6月21日、前座となり楽屋入り。前座名は「やまびこ」[1]。 2021年3月1日、林家きよ彦、春風亭与いち、三遊亭歌彦と共に二ツ目昇進、「林家やま彦」と改名[1]。 芸歴人物落語協会二ツ目の勉強会「チャノマ」メンバー。 逸話やま彦は前座時代から数々の伝説を残している。 三代目三遊亭歌橘から仕事を頼まれ「宣材(写真)くれる?」と言われ洗剤のアタックを送った。その際、アタックに伝票を直接貼った。 歌橘の仕事の打ち上げでお客さんの前で吐いてしまい、その処理を歌橘が行い、やま彦の自宅までタクシーで送っていった。後日、やま彦から歌橘に「昨日は仕事とゲロの処理ありがとうございました。またご機会あればよろしくお願い致します」の留守電が残されていた。 歌橘が急性膵炎で入院した際、焼酎の一升瓶をお見舞いの差し入れした。 手ぬぐいと畳紙の文字は『やまびこはこれくらい崩れている方が感じが出るだろう』と師匠彦いちが左手で書いた。 「二ツ目昇進時の抱負はありますか?」と聞かれ、「頑張りません、具体的にやります!」と発言。 柳家かゑるが娘と遊んでいる動画を見せた時、「兄さん良い感じにパパ活してますね」と発言した。 かゑるがやまびこに「鰻でも食べに行こうか」とLINEで送ったら「さっきの魚の漢字なんて読むんですか?」と聞いた。 前座時代、妹弟子のきよひこに「前座で新作落語をやるな!たれちちおんなっていうイヤらしい新作やってたろ!」と注意したがきよひこがやっていたのは垂乳女だった。 あまりに逸話が多いので妹弟子のきよ彦はいつも「やま彦さんのおもしろエピソードはありますか?」と聞かれている。そのきよ彦からは共演NGと言われてしまっているがチャノマの会などで共演することがあるので事実なのかネタなのかは不明。 四代目三遊亭圓歌が三遊亭鬼丸に対して「ラジオは続けろ!」と激を飛ばしたら隣にいたやま彦がラジオをやっていないのに「はいっ!!」と返事をした。 笑組(えぐみ)を「らぐみ」と読んだ。 新宿末廣亭には「やまびこ」のメクリが何故か二枚ある。 シンクで食事をとっている。 サトウのごはんをチンして食べることを20代になって知った。 七年も先輩の林家けい木、林家つる子に対してタメ口を使う[2]。 椅子から立ち上がるときに前屈みだったせいで頭突きして店のランプを破壊した。 パチンコの連チャンが理由で寄席を休みその時のタテ前座の金原亭駒六をしくじる。焦ったやま彦は翌日に前座全員に寿司を差し入れして許してもらった。 ある師匠が寄席の出番の繋ぎで1パチをやっていたところ、同じ店でやま彦が4パチを打ってるとこを目撃し、「なんで俺が1パチなのに前座のあいつが4パチなんだ!」という理由でしくじった。 二ツ目に昇進したての桃月庵黒酒に祝儀袋がないからという理由でQUOカードの入れ物に祝儀を包んだ。 師匠彦いちの代理で参列した葬儀で、空いてる席があったので座ったところ、そこは親族席だった。 他の参列者へご遺族と一緒にお辞儀して、最終的に故人の骨揚げまでした。 鈴々舎馬風がやま彦の噂を聞いて「久々にすごいのが来たらしいな」と喜んだ。 ネタ帳の間違い「泥棒の小噺」を「泥坊の小噺」と書いた。 『お菊の皿』を『お菊の血』と書いた。 柳亭市馬が「やまびこ、『二十四孝』の『こう』は親孝行の『こう』だぞ」と教えたがネタ帳には『二十四行 市馬』と書かれていた。 市馬が「最近やまびこがしくじらなくてつまらないな」と言っていた矢先に「粗忽の使者」を、「粗骨の死者」と書いた。それを見た市馬が「そのまんま大きくなれよ」と発言した。 「明烏」を明鳥と書いてしまい、「鳥のイチはいらないです」と指摘されたところ、トリの春風亭一之輔の名前の一に斜線を引いた。 出演映画
著書
脚注注釈出典外部リンク
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