板川正吾
板川 正吾(いたがわ しょうご、1913年(大正2年)7月9日[1] - 2004年(平成16年)2月12日[1])は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(6期)。 経歴栃木県で生まれる[1]。東武鉄道本社自動車局業務課次長を務めた[2]。戦後、労働運動に加わり、東武交通労働組合中央執行委員長、東京労働金庫理事などを務めた[1][2]。 1958年(昭和33年)5月、第28回衆議院議員総選挙で埼玉県第四区から出馬して当選[1][2]。その後、第29回、第30回、第31回、第33回、第34回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算六期務めた[1][2]。この間、衆議院物価問題等に関する特別委員長、日本私鉄労働組合総連顧問、日本社会党商工部長、同産業貿易政策委員長、同総合エネルギー対策事務局長、同独禁法対策事務局長、同中小企業基本政策副委員長、同院内役員、同埼玉県本部委員長、同本部常任顧問、埼玉県憲法擁護県民会議代表委員などを歴任し、埼玉県中小企業商工協会名誉会長となった[1][2]。 新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった[3]。 1988年(昭和33年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章[4]。 2004年(平成16年)2月12日、心筋梗塞のため埼玉県越谷市の病院で死去、90歳[5]。死没日をもって正四位に叙される[6]。 著作
親族脚注参考文献
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