板垣好樹板垣 好樹(いたがき よしき、1933年8月20日-1993年6月26日)は、日本の俳人。群馬県伊勢崎市生まれ。本名は好昭。 月刊『俳句人』編集長(1973-1975年)、第6回新俳句人連盟賞受賞。 略歴1933年、群馬県伊勢崎市に生まれる。10代で結核に罹り学校にも満足に行けず、国立療養所大日向荘(現在の国立病院機構西群馬病院)で過す。1954年、療養所で俳句を知り、古沢太穂の結社「道標」に入会、同時に太穂の推薦で新俳句人連盟の会員となる。1956年に療養所を退所、印刷工となり、1962年には現代俳句協会の会員となる。1972年、新聞『赤旗』俳句欄選者、翌年には岩間清志の急逝を受けて月刊『俳句人』編集長となる。長く賞とは無縁であったが1978年、「はらからの花」で第6回新俳句人連盟賞を受賞。1979年には「民衆詩としての序説」が第7回新俳句人連盟賞評論賞佳作、1981年には「赤城さかえの一石路批判」が同じく第9回新俳句人連盟賞評論賞佳作となった。 若いころ学校に行けず、無学の中で這い上がった経験から、山谷労働者の支援と俳句指導に尽くした。 1993年、食道癌のため死去、享年59歳。 句集
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評論参考文献
脚注関連項目外部リンク
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