松本潤一郎松本 潤一郎(まつもと じゅんいちろう、1893年7月22日 - 1947年6月12日)は、日本の社会学者。理論社会学を専門とした。 生涯千葉県銚子市出身。裕福な地主の旧家に生まれる。旧制銚子中学校に入学するが、肋膜炎にかかり旧制佐原中学校に転校。第一高等学校、東京帝国大学文科大学哲学科社会学専攻卒。建部遯吾に師事。大学院を中退後、大阪毎日新聞の外国通信部記者として、英文和訳や海外事情調査などに従事。1年ほどで退社し、外遊を経て日本大学講師、法政大学教授、東京女子大学講師、東京帝国大学講師を歴任。1938年、東京高等師範学校教授。1942年、日本文学報国会理事。戦災により蔵書1万冊を焼失してからは諦観の人となり、戦後間もなく糖尿病で死去した。 自らの社会学体系を「総社会学」と称し、あらゆる学派を包括する社会学の形成を唱えた。 著書
参考
|