松本幸四郎 (初代)
初代 松本 幸四郎(しょだい まつもと こうしろう、延宝2年(1674年) - 享保15年3月25日(1730年5月11日))は、江戸時代中期の歌舞伎役者。屋号は大和屋。 下総国香取郡小見川(現在の千葉県香取市)の島田家に生まれ、10歳の時に佐原の小間物屋「高麗屋」に奉公に出た。元禄年間に江戸の久松多四郎に入門し、幼名から「久松小四郎」と名乗り女形を務めていた。後に「松は霜雪に操を変えず、本は本心の本の字」として、松本姓に改め立役となる。享保元年(1716年)、徳川吉宗が征夷大将軍になるとその子・小次郎(後の徳川宗武)に名前が通じると言う事で、「松本幸四郎」と改名した。墓は香取市の善光寺と東京都文京区の栄松院にある。二代目幸四郎(後に四代目市川團十郎)は養子。 関連項目外部リンク
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