松平頼煕 (松平大膳家)
松平 頼煕(まつだいら よりひろ)は、江戸時代中期の高松松平家御厄介(一門)。松平大膳家第2代当主。通称は左近、志摩。号は一風。 生涯初代当主・松平頼芳(松平頼重の七男)の子として誕生した。母は津袮(大高氏)。 元禄17年(1704年)、連枝として2000石を与えられる。享保20年(1735年)3代藩主・松平頼豊(頼煕の従弟にあたる)が死去すると、頼煕の長男・頼桓がその婿養子として4代藩主となり、自らは頼桓の後見を務めた。元文元年(1736年)、隠居して家督を次男の頼珍(のちの蜂須賀宗鎮)に譲った。元文2年(1737年)9月22日没、享年38。 儒学者・宮村経弼を師とし、漢籍に詳しい教養人で、2代藩主・松平頼常の創設した講堂を再興した。 系譜
参考文献
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