松平親純
松平 親純(まつだいら ちかずみ)は、豊後杵築藩の第4代藩主。能見松平家10代。 略伝常陸麻生藩主・新庄直詮の十三男。早くから外祖父重栄の養嗣子となり、正徳5年(1715年)におじで先代藩主の重休が早世したため、その跡を継いだ。藩政においては享保9年(1724年)から天候不順、享保の大飢饉による大被害を受け、幕府から3,000両を借用してしのぐほどであったと言われている。元文4年(1739年)2月16日、37歳で死去し、跡を長男の親盈が継いだ。 |
松平親純
松平 親純(まつだいら ちかずみ)は、豊後杵築藩の第4代藩主。能見松平家10代。 略伝常陸麻生藩主・新庄直詮の十三男。早くから外祖父重栄の養嗣子となり、正徳5年(1715年)におじで先代藩主の重休が早世したため、その跡を継いだ。藩政においては享保9年(1724年)から天候不順、享保の大飢饉による大被害を受け、幕府から3,000両を借用してしのぐほどであったと言われている。元文4年(1739年)2月16日、37歳で死去し、跡を長男の親盈が継いだ。 |